私は今、竹富町は西表島に移住しようと準備をしているところなんです。
出身は滋賀県の何もない田舎。しかも、新興住宅地で文化も自然もお店も何もない。

近くにスーパーと駅があって生活に困らないってだけの子供だった自分には退屈でたまらない町で、バイトして貯金してやっと上京してから数年後、たまたまバードウォッチングに出会って、たまたま石垣島に遊びに来て、たまたまリーマンショックで職を失って、北海道か石垣島に行こう!と仕事探したら、たまたま石垣で仕事が見つかったから、プチ移住することになったのがすべての始まりでした。

私が初めて石垣島にプチ移住したのは、7年以上前のことです。
私は当時バードウォッチングをしていたので、そのために1年と決めて住んで野鳥を見て、また東京戻って真面目に?仕事しようって感じで住み始めました。

そこで出会ったある宮良の会社の社長が私の運命を変えました。
本業は別の事でしたが、社長が地域を活性化させたいといろんなことに取り組もうとしていてその最初の足がかりとするために集落への聞き込みを頼まれました。

沖縄のお家は、神様の通り道をお家の前に作る習慣があり、前の庭が広く、インターフォンもその庭を入って玄関までいかないとなくて、当時、何も知らなかった私は、人のお家に勝手に入っていくイメージでかなり躊躇しました。

でも、中に入らないと外から叫んでも聞こえないくらい庭が広いのです。。
もうそれだけで、若干逃げ出したい気分でした。

して、もっと昔のお家は玄関がないんです。
玄関がないって想像つくでしょうか?お家の手前に目隠しのような塀があるんです。
その塀の向こうに大きな窓があってそこから出入りします。写真のような感じです。

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※普通のお家は載せられなかったので、竹富島の郵便局です。

もちろんインターフォンなんてないので、大声で叫ぶしかありません。
「こんにちはーー!!!」その目隠しのような塀は、正確に言うと目隠しではなく、魔除けの塀らしいんです。
魔物とされるものは、どうやら直進しかできないらしくて、その塀があるとお家の中に入れないという仕組みです。

あと、その話の流れで沖縄で見られるものは、石敢當という魔除けです。
よく三叉路やT字路に石敢當と書かれた石碑みたいなのを見たことあると思います。
これも直進しかできない魔物を避けるためです。
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T字路の壁に書かれてあります。見えますでしょうか?少し自分の記憶が曖昧なので、wikiから引用します。
市中を徘徊する魔物「マジムン」は直進する性質を持つため、丁字路や三叉路などの突き当たりにぶつかると向かいの家に入ってきてしまうと信じられている。そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとする。魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。だそうです。

沖縄は目に見えないものでも、ずっと信じられていることがたくさんあります。
内地育ちで特に歴史も文化もない新興住宅地で育った自分には、そう言った信仰はすごく面白いので、これからもずっと引き継がれていって欲しいです。

魔物なのに直進しかできないって随分不器用な魔物です。。。
話がかなりそれたので、戻ります。

インタビューの内容は、ざっくり言うとお仕事についてだとか、昔の生活についてでした。
石垣島の現状を見ることになり、私はこのインタビューの仕事を途中で降りて、程なくして本土に帰りました。

なぜ、よそ者の私がここまで集落に立ち入った話を聞かなくてはならないんだって。
インタビューだから、それが仕事なんですが、自分はすぐに相手の感情を吸収してしまうので、みんなの苦しい話も苦労話も辛くてたまらなくなりました。

普通にお家がある人でも、生活はギリギリだし、苦しいということばかり聞かされました。
1番ショックだったのが、自分のような内地の人間に、島に来てほしくないと思ってる人がいるということ。
島が汚れたのは内地の人間が来て、ゴミを捨てていくからだと。
今は、なぜそう思われているのかはわかります。
でも、当時は何も知らなくて、ただショックでした。

島の外にいると、見えないんです。沖縄の歴史をじっくり調べてから来る人なんてほとんどいないです。
青い海と島の人の優しい人柄に私たちは癒しや非日常を求めて、遊びに来ます。
そうやっていると島の人たちがどんな思いでいるかを知ることはないんです。
だから、幸せな気持ちで島を後にして、石垣島っていいよねって言ってもらえるんです。

私、旅の人たちは、島の人に喜ばれていると思っていました。観光業に携わる人たちはともかく、そうではない人たちの中には内地の人をよく思わない人もいることがわかりました。

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波を見ていると、台風が来るのがわかる。
台風が来ると、宮良橋に波に乗ってたくさんの魚が打ち上がる。
台風の最中、それを拾いに行くんだよとおばあが言います。

海が近いお家は、鍋に火をかけておいてよーと奥さんに伝えた旦那さんは、そのままモリを持って岸から歩いて海に入る。ついて持ち帰ってすぐ捌いて鍋に入れる。
そんなことが昔はできたけど、今は魚がいないからね~とおじいは言います。

土地を広げるために海を埋め立て、新しい橋や港が作られ、豊かな漁場がなくなり、土地改良されたがいいわ赤土が流れ出して、珊瑚が苦しみ魚がいなくなり、工場ができて廃水が川に流され、宮良橋に魚が打ち上がることは無くなりました。戦後の復興とともに海は確実に姿を変えて、人々の生活を変えました。

みんなの生活がなかなか楽にならないなら、やはり地域を盛り上げる事業はやるべきた!と社長が動き始め、数年後、私は、もう島には戻らない!って思ってたのに、結局石垣島に戻ってきました。
地域振興を手伝うよ!との宣言と共に。

※宮良橋は何度か掛け直されています。
木製だった頃は台風で何度も壊されて、コンクリートの橋になったのは、昭和8年。今の橋になったのは平成9年だそうです。
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