サマータイム。なんて素敵な響きなのだろう。

目を瞑ると、高く青い空の下、ビーチでくつろぐビキニの女の子が思い浮かぶ。

きっと村上春樹の小説を読みながらピニャコラーダを飲んでいるのであろう。

スティーブは日が昇ったら起きて、日が沈んだら寝ればいいと思っているので、

時計を1、2時間進める進めないの話に興味はないのだが、この機会に思ったことを書いておこう。

 

1988年から1993年にかけて、スティーブはアスリートだった。陸上競技部に所属し、800mが専門種目だった。

早朝も放課後も、休日は日中も、夏も冬も、ずっと走っていた。あの頃、熱中症という言葉を聞いたことは

なかったし、吐きそうになるほど走っても実際に倒れたやつはいなかった。東京オリンピックではアスリートたちが

暑すぎて大変なのではないかと心配する声もあるが、アスリートは、タフだ。

 

1999年に新卒でエンジニアとしてIT企業に就職したスティーブは、入社早々に「2000年問題」対策に取り組むことに

なった。老舗のソフトウエアカンパニーだったI社には、本当に西暦用変数が下2桁だけ(1985年なら”85”)で

割り当てられたプログラムがたくさんあった。社員総力で修正を行い、年内には完了。2000年元旦は不測の

事態に備えて会社で迎えた。いくつかの些細な問題は発生したが、大きなトラブルなく乗り切ることができ

ほっとしたことを覚えている。世界的にも大きなトラブルは無かったように記憶している。しかし、あの修正作業は

本当に大変だった。サマータイム対応に時間を取られたくないというエンジニアの気持ちもよくわかる。

 

2011年に1年間暮らしたキリバス共和国は、ほぼ赤道直下にあり、1年を通して日の出・日の入時間がほとんど

変化しなかった。あの安定感が、のんびりした人々と暮らしを作っているのだなと感じた。

 

2013年から暮らしている西表島には、「東経123.456789度」を記念したというモニュメントがある。

この事実を発見した方は天才だと思う。しかし、「明石の日本標準時子午線」や「赤道」、「日付変更線」に比べると

インパクトが少なく、跨いでみればよいのか、インスタにアップすればよいのか、いささかリアクションに困る。

 

日本の中央標準時は兵庫県明石市(東経135度)であり、UTC+9だ。ただの標準時でなく、「中央」がつくのには

理由がある。なんと、かつて日本には「西時間」と「中央時間」の2つの標準時が存在した時代がある。そして

「西時間」を使用していたのが当時併合していた台湾とこの八重山諸島なのである。

 

現在の台湾標準時(東経120度)はUTC+8で、日本と1時間の時差がある。西表島は東経約123.5度なので、日本の

中央標準時から11.5度(約46分)遅れていて、台湾標準時より3.5度(約14分)進んでいる。どちらかといえば

台湾標準時(UTC+8)のほうが近いのだ。よく観光客の方に「さすがに南の島は日が長いわね。 」と言われるが、

南の島だからなのではなく、日本の西の果てだからなのである。

 

というわけで、かつて「西時間」(UTC+8)だった八重山諸島が「中央標準時」(UTC+9)となり、サマータイムが

導入されれば2時間進む(UTC+11)。真夏は夜の8時ころまで明るいが、夜の10時ころまで明るいということになる。

なんだかもうわけわからないっす。

 

さあ日も沈んだし、寝よう。